村上春樹さんの新作ともう1冊
フジロックの第一弾発表とても豪華(なぜか変換で最初に「業火」と出た。何となく味わい深い)でバラエティ豊かで、かつ個人的な予想(Link)も結構当たって、うれしかった。
ただ、Aphex TwinやBjorkを見ようとすると、LCD Soundsystem〜The xxまでの並びの誰かは切らないといけないのかと今から悩んだり、ステージ割のときの阿鼻叫喚が聞こえるような気がしたり。
それはまたその時に悩むことにして、今は発表されたうち気になるひとをチェックしたりと楽しんでいきたい。
フジのことはそのあたりにして、ふと気になったことを。
司馬遼太郎さんのエッセイ「司馬遼太郎が考えたこと」シリーズを読んで気になったことを。このシリーズの初期に司馬さんが、直木賞やその他の賞の選者をされていたときの選評が載っている。
選評なので受賞者だけではなく、司馬さんが推されたひとやそれ以外の候補者の名前もある。
まったく聞いたことのない人も多い。
Wikipediaにも載っていなかったり、Amazonで調べても古書でしか取り扱われていなかったり。また図書館にも所蔵されていなかった。
昭和40年代の直木賞が世の中でどう取り扱われていたのかは、分からない。今よりさらに大きくテレビや新聞で取り上げられていたのか、逆に文芸雑誌などに掲載されていただけなのか。
ただそういった賞の候補になる以上、実力のある作家だったはず。そう思うと、そういった人たちが40年ほど経った今、足跡を残していないことに少し寂しさを感じた。
一方で、下の写真は去年出た群像70周年記念の短篇名作選の目次。
ここに載り切っていない部分には、いまも活躍中の人も多く載っている。
存命の人も亡くなられた人も含めて、素晴らしい面白い小説を作られる人がこれだけいるという事実には圧倒される。音楽にも言えることかも。この写真の4分の1、5分の1の人の全作品を読もうとするとそれだけで数年使える気がする。
過去の名作が残りやすく、また電子化や著作切れによる無料化でアクセスしやすくなって、そこに毎年新人や存命の著名作家の作品が積み上がる。そんな中で一定の注目、評価を集めて生きていくのは大変なことな気がする。これも同じく音楽にも当てはまる。
そこに「情報集中による一極化」が加わると状況はさらに厳しくなる気がする。スマホの普及で、情報へのアクセスが簡単になって、少し前にはそれによる「ロングテール理論」みたいな話も出てきた。ただ、少なくとも自分の周りを見ている限り、情報へのアクセスのしやすさは多様化より一極化に寄与している部分が多いようにおもう。
同じようなアプリを入手して、同じニュースサイトから情報を入手する。
それによって、売れる人は、より目につきやすくなってさらに売れる。そうじゃない人は一時は名前が挙がっても、次から次へと来る新しい話題に押し流される。
もうかなり前に使われていた「使い捨て社会」以上の消費の波に多くの作家だったりクリエイターが飲まれているんじゃないかとおもったり。
「それにも耐えうる人が本当の実力者なのでは」という声もある。
でも、ニュースやメディアで取り上げられる人も必ずしも中身ばかりで取り上げられているのじゃないのも、もうずっと繰り返されている話。
ということを、「司馬遼太郎が考えたこと」や群像を読んでいてふと思った。
併せて、ここ10年ほどは小説にしろ、音楽にしろ優れた作品がグッと増えているようにおもう。そこには間違いなく、過去の作品や世界中の作品にアクセスしやすくなった影響がある。
昔に比べて、作品の質が上がる一方で、その作り手には厳しい状態。
そこに受け手として、どう出来るかなと思ったときに個人的に考えたのは、メジャーな情報を得たときに、それを自分の興味のある部分に反映させる、具体的にいうと、お金を落とす、こと。
ここでようやくタイトルに。
少し前に村上春樹さんの小説が今月末に発売されることが話題になった。
久しぶりの長編ということを差し引いても、新刊が発表されるだけでニュースになるというのは他の作家さんでは多分無いとおもう。
ここでこの作品を買うひとも買わないひとも、あと1冊自分が気になっていたり、発売後に本屋に立ち寄ったときにふと気になった本を、それこそハードカバーでも文庫でも1冊買ってみるきっかけにするといいんじゃないかなと思ったりした。
もちろん新作を買うひとは二冊同時に買うと3600円+税にさらに1冊というのは大変かもしれないけど。
いくつか気になっている本もあるけど、もう少し何かないか、少し考えたり、実際に本屋めぐりをしてみるつもり。
最近読んだ本
・デイヴィッド・ヒーリー「ファルマゲドン」
・宮本輝「春の夢」
・山本兼一「利休をたずねよ」(再読)